30年前に夢見た世界を今なお追い続ける「元大学生ベンチャー」の仲間達【リョーマ×SYN30周年イベントレポ】
相関図や沿革図を作るきっかけは「リョーマ」
4年半前に「KLab真田さんの武勇伝と日本ITベンチャーの夜明けの話」というエントリーを書いた。このエントリーは名著『ネット起業! あのバカにやらせてみよう』を読んで、その影響を受けて書いたものである。『ネット起業! あのバカにやらせてみよう』は1990年代のネット界隈の中心を担った人達の物語であり、新しい産業に立ち向かう若者達の熱狂を感じる作品である。その本でも中心的に扱われているのが、現在KLab代表の真田哲弥さん。その真田さんが80年代後半に立ち上げたリョーマ、そしてその後のダイヤルキューネットワーク、そしてインターネット黎明期の数々の企業の一連の流れを上記エントリーでは図にしてみた。
このエントリーは反響を呼び、当の真田さんにまで届いた。そしてそのリョーマの重要人物であった加藤順彦さんから連絡があったのが4年前。「このDVD、きっと面白いから、記事にできたらしてみて!」と渡された1枚のDVDには「リョーマ×SYN 25周年記念パーティ」と書かれていた。そして記事化したのが「今から約25年前、大阪にはリョーマがあり、東京にはSYNがあった」というエントリーである。
「リョーマ×SYN」のエントリーもたくさんの方に読んでいただき、その登場人物の方々にお会いしたり、連絡を頂いたりした。とても嬉しい経験をした。
話を戻すが、その登場人物(レジェンド)たちが一同に会する会合に呼ばれてしまったのだ。加藤さんより告げられた集合時間よりも20分ほど早く現地に到着してしまい、店の外で待っていたが、その間も参加者と思われる紳士達が次々にやってきた。集合時間の少し前に加藤さんが店から出てきたので、すかさず近づいて挨拶をし、店の中に入った。
既に店の中には10名くらいの参加者がいた。「誰?」という視線を痛いほど浴びながらカウンターでカシスウーロンを注文。普段は全くお酒を飲まないし、飲めないんだけど、4年ぶりにお酒を注文。いかに僕がテンパってたかわかるかと。
加藤さんが冒頭の挨拶とともに僕を紹介してくれた。「あの記事を書いた人かー」という声がちらほらと。DeNA共同創業者の川田さんは「君が調べるおの人かー」と声をかけてくれ、また『忍者ツールズ』のことも知ってくれていたので嬉しかった。Twitterなどでよくお見かけする元電通の田中泰延さんも優しく声をかけてくれた。多少はほぐれたが、とはいえ緊張は続き、カシスウーロンをおかわりした。
50歳にしていまだに溢れ続ける起業家マインド
司会の加藤さんのアナウンスに促され、一人ずつ店内に設置されたステージに登り、近況と5年後の夢について語る参加者達。改めて参加者リストを見てみると、約30人の参加者のうち半数が上場企業の役員だったり、上場企業の元役員だったりする。その他の方々も家業を継いで社長をしてたりする。彼らの発表を聞きながら思ったことがある。それはみんながまだ「事業への情熱」を持っていることだ。50歳前後で、かつそれなりに資産もあるだろう。僕ならば「引退」すると思うが、彼らは「今やってる事業を5年後も伸ばしていく」「もう一回新規で事業を立ち上げたい」「上場を目指す」などの発表が続いた。全然現役なのである。根っからの起業家根性を持っている人達なのだなと思った。
最初からそういうマインドがあったのか、それともリョーマ、SYNという集団に加わったことで皆がそういうマインドになったのか。おそらく元々そういう起業家マインドを持っていた人達が、集団に加わることでさらにマインドが増大し、30年経った今も起業家、事業家マインドが血肉に染み渡っているのではないかと。
偶然か必然か、多くの大学生がその場所に集った。現在のスタートアップシーンでも「何をやるかより、誰とやるかが重要」「いる場所を間違えると何も産まれない」などと言ったりもするが、リョーマ、SYNはそれらが備わったところだったのだろう。このような奇跡はそんなに多くない。加藤さん曰く「たまたまそこにいただけで、何も特別なことはない」と。でもその「たまたま」が奇跡なんだと思う。
彼らにとってバブルは「つまらない」ものだった
参加していたリョーマ、SYNの方々と個別にお話もさせてもらった。皆さん気さくに話してくれて有り難かったです。皆さんレジェンドなので緊張したましたが、一番緊張したのはザッパラスの玉置さんでした。唯一の女性だったことと、名刺代わりの「調べるお」を全く知らなかったので、緊張しました。皆さんと話して印象深かった話をいくつか。
「皆さん上場して凄いですね」と某参加者に話したところ、「上場自体はそんなに難しくないよ。難しいのは事業を成長させ、会社を続けること」という答えが返ってきた。リョーマ、そしてダイヤルキューネットワークと道半ばで潰れてしまった経験からか、彼らにとって「会社を続けること」の難しさというのは身にしみて感じているのかもしれない。僕個人の経験からも(上場も凄い難しいけど笑)会社を続けることの難しさというのは感じている。さらに成長を続けるというのはもっと難しい(ただ上場するのもかなり難しいと思うけど笑)。
また他の参加者がこんなことを言っていた。「若者と一緒に仕事したりするけど、最近の若者は凄いよ。彼らと張り合ってもしょうがなくて、彼らの苦手なとこをサポートするのが良い」と。この辺が他の50歳と違うとこなのかなと思った。「若いやつは全然ダメだ」と無意味に張り合う大人は多い。しかし彼らは若者を尊重し、その力を最大限発揮させるためのサポートをしている。やはりこれも30年前に彼らが「若者」だったときの経験からくる思想なのかもしれない。
リョーマが設立されたのは1987年。まさにバブルのまっただ中の時代。大学生は就職の面接に行くと「お車代」がもらえた時代で、その「お車代」だけで生活してた学生もいたという噂。そんな時代に「時給100円(笑い話として参加者が話していた)」で昼も夜も働いていた大学生だった彼ら。なんでそんな時代に働いていたんだろう?と疑問に思ったので、とある参加者に聞いてみたところ「みんな『なんか今の日本ってつまらない』って言ってたな」と。バブル時代に全国民が浮かれてた時に彼らはその状況が「つまらなかった」のだ。彼らの親達が築いた「繁栄」を楽しむのではなく、自分達で新たな「繁栄」を作りたかったのかもしれない。
前述の通り、彼らは50歳にしてまだ新たな事業作りにワクワクしている。きっと彼らにはまだその「繁栄」を作りきれてないのかもしれない。そして生を受けてる間はずっと「繁栄」を目指し続けているのだろうな。そう思った。
30年前の思い出にすがらず、彼らは常に未来を見ている
リョーマを創業し、この会の中心人物である真田さん。僕は初めてお会いしたのだが、すごく温厚そうな方で『ネット起業! あのバカにやらせてみよう』のイメージとは少し違った印象を受けた。ニコニコしながらみんなの発表を聞いている姿が印象的だったが、ひとたびマイクを握ると事業への情熱を饒舌に話す。そしてその姿をみんなが嬉しそうに眺める。誰かが言っていた。「真田さんの長い話がみんな好きなんだよ」と。締めの挨拶で西山さん(現GMOインターネット取締役副社長)が「あの頃と基本的にみんなキャラは変わらないし、立ち位置も変わらないな」と言った。昔の仲間とはそういうものだ。現在の立場は関係ない。それがまた嬉しいし、楽しいものである。
会を通して思ったことが「彼らは過去の栄光にすがってない」ということ。リョーマ、SYNですごした日々は大切な思い出として彼らの記憶に鮮明に残ってはいるが、それはそれとして現在を生きている。過去の栄光にすがっていたら新しいことはできないし、新たな成功をおさめることはできない。30年前の日々は思い出として心の中に納め、常に先を見ているからこそ現在の彼らのポジションがある。そしてさらに先の未来を彼らは見ているのだ。
※SYNの田中泰延さんによる記事も面白いのでぜひ。
「午前2時のプールサイド」「100円置くのとちゃいまっせ」「雑草という草はない」
※追記(2018年5月24日)
この時の動画ができたということなのでご紹介します。(ロングver.はこちら)